定期的に瞑想しなさい。瞑想を日々の生活の欠かせない一部にすることは、とても役に立つ。食事を欠かすのはいい。ときにはそれは有益でさえあるかもしれない。だが、瞑想を欠かすというのは、何か月ものワークを台無しにすることだ。それはとてもデリケートなワークだ。何か月かのあいだに、ある種のエネルギーが生み出される。だが、あなたが「不可逆古ことして知られている地点にまで達していないかぎり、そのエネルギーは、数日で失われることだろう。水を熱して九〇度にまでした場合と同じだ。水はまだ水のままだ。九五度になっても水のままだ。 九九度に達したところで熱するのをやめたなら、それは冷めていき、熱は消散する。ふたたび熱しなおさなければならない。だが、一〇〇度に達したならば、それはジャンプする。蒸発する。きわめてラジカルな変化が起こる地点にたどり着いたのだ。 瞑想でも同じことが起こる。あなたはそれを蓄えていく。それは累積的だ。あなたは毎日それをすると、あなたは自分の内的存在に微妙なエネルギーを蓄積している。それはどんどん高いレベルに達する。九〇度、九五度。だがこれだけの温度に達していても、それでやめるならば、それは失われる。それは消散してしまう。日常のすべては非瞑想的なものだから、それは簡単に破壊される。 世界全体が非瞑想的だ。あなたが出会っ人たち、ともに働く人たち、おしゃべりする人たち、彼らはみな非瞑想的だ。あなたが高いエネルギーを持っていると、それほどエネルギーの高くない人たちは、あなたのエネルギーを吸い取ることになる。彼らは意図せずしてそれをする。水が下に流れるのと同じ道理だ。すべてのエネルギーは下に流れる。人びとはまるで谷間だ。あなたのエネルギーが彼らに向かって流れるのは当然のことだ。彼らのレベルはあなたより低いのだから。 だから、定期的に瞑想をするというのは、とてもとても重要なことだ。さもないと、あなたはなんらかのものを生み出したあと、「私はもう充分なだけ生み出した。とても気持ちがいい」と考えるかもしれない。あなたは二、三日は気持ちがいいだろうが、エネルギーはまたもや失われてしまう。 あなたが定期的に瞑想するなら、あなたのレベルは、だんだんと、高く、より高く、さらに高くなっていく。ある日、突如として、あなたは蒸発する。そのとき、瞑想は自然なものとなる。あなたがそれをする、しないという問題ではなくなる。 それをせずしてするようになる。歩いていても、あなたはそのなかにいる。食べていても、あなたはそのなかにいる。働いていても、あなたはそのなかにいる。眠っていても、あなたはそのなかにいる。瞑想があなたの生のすべてになる。そうなる前には定期的に瞑想しなければならない。 和尚 The Passion for the Impossible 18 |